大下志穂さん

今回登場する大下志穂さんは、
多くの作品を生み出しているアーティストなんですが、
最初からそれを目指していたわけじゃないんですね。
いろいろなことを点と点を結ぶように経験しながら今に至るまでのこととか、
これからのことついての考えがとても面白い。
そういうお話を、みなさんにおすそわけしたいと思います。

人物図鑑インデックス

大下志穂_index
名前 大下 志穂
職業 アーティスト
 
 

第3回 帰国後の修行時代(おもに東京にて)

イ:就職したのはどんなところだったんですか?

大:世界的に有名な現代アーティストがもつアニメーションスタジオでした。

イ:そこでは、どういう仕事をされていたんですか?

大:最初はアニメーターですね。

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イ:「この会社だ!」と思って入社して、どうでしたか? 面白かったですか?

大:うーん。わからないですね。作る喜びはあったけど、すごく特殊だったと思うんですよ。当時はごっそり社員が抜けた後で、みんな新人みたいな状況だったんですね。そんな中でいきなりシーンを任されて、「やってみろ」といわれる。そして作り上げなければいけない。それはプレッシャーというよりも、恐ろしい感じでしたね。

イ:想像しても恐い感じですね。でも、結構面白いような気もしますけど。

大:いや。自分の技術が全然ついていかないし、日本のやり方とカナダのやり方が違うっていうこともあって、最初はすごく辛かったですね。その後、慣れてきたと思ったら、全然違うポジションに就いたんですよ。チームの中の作る人間じゃなくて、制作という行程を管理する仕事を任されちゃいました。そういう人材が当時は会社にいなかったんです。

イ:それは、やりたいことと違うわけですよね。

大:違うんですけど、私がやらなきゃどうにもならない状況だったんですよ。周りはみんな20代前半の人たちばかりで、社会経験も少ないし…。コンピューターを扱う仕事をする人の多くは、コミュニケーションがあまり上手じゃなくて…。

イ:だから、大下さんに制作を任せるしかないんですね。戦場のような現場が想像できます…。

大:そう。「どうも私しかやれる人がいない」という状況になって、まったくわからないところへ投入されて、制作になった日から、5徹(5日間徹夜)みたいな(笑)。

イ:5徹! まさに戦場ですね…。でもそういう過酷な状況で、得るものもあったんじゃないですか?

大:確かに。そのおかげでアニメーションを作る全行程を見ることができましたね。アフレコ、編集、上映など全部に関わりましたから。ボスと会議に出て、作るという場にも一緒に行き、最前線でものづくりを見ることができたのは、今思うとすごくいいポジションだったと思います。

イ:結局その会社には何年いたんですか?

大:2年ですね。でも、10年くらいいた気分でしたね。本当に辛かった(笑)。でも、そこも入る前から長くて3年だと思っていたんですよ。修行だって心に決めていたんです。自分でやりたいって思っていたので、そのためには、どこかで一回は現場を見ておきたいっていう気持ちがあったんですね。結果的には、それがいわゆる商業アニメーションの会社じゃなくて、アーティストのアニメーションスタジオで良かったと思います。アニメーションだけじゃなくて、絵を描く現場とか、彫刻を作る現場とか、いろんな現場を見せてもらったので、それが今の自分にすごく役立っていると思いますね。

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イ:結局、今まで「これだ!」って思った行動は、全部正解ですね。つながっている。

大:でしょ!

イ:著名な現代アーティストの下で仕事をするというのは、「普通じや体験できないような感動」を味わえるんじゃないですか?

大:ボスの作品を手伝うっていうことは、その先に世界中の人が見えるってことじゃないですか。それってすごいことだな、やりがいのあることだなって思っていて、一生懸命やっていているわけです。そして作品が完成して、たとえばニューヨークの大きな展覧会で上映されているのを見に行かせてもらっても、あるはずの感動がないんですよ。

イ:「タイで、大下さんが作った服のタグが、いろんな人に届けられる感動(※「人物図鑑」第1回を参照)」という話がありましたが、それと比べてどうですか?

大:タグの方が、100倍感動がありましたね。

イ:何で感動がなかったんでしょうか?

大:「あれ。なんだこれ? 感動がないな」って…。一生懸命やったのに、充実感とか作品の一部になれたっていう感動がないんですね。それは毎回思っていたことですけど…。

イ:なぜでしょうね、それは?

大:「制作に行け!」って言われて行った頃は、自分が未熟だし経験がないので、できることが限られていますから「次はもっとやろう!」って思うんですね。それで次の山場でまた一生懸命やるんですよ。自分でできる範囲をどんどん増やしていって…。

イ:そして、できる範囲が増えていった作品が完成する。

大:「何もかも100%やった」という作品があって、それを見ても充実感がありませんでしたね。「これって、なんでだろう、なんだろう?」ってずっと思っていて、そのうち次第にエネルギーが枯渇していき、充実感がないと次の仕事に挑むエネルギーがなくなり、「またあの辛い仕事がやってくるのか」という気持ちになり…。最後に携わった山場の後に、現場を離れて夏休みを一週間もらって、アメリカに行ったんですよ。何もしないで一週間を過ごしたんですけど、そうしたら、自分を客観的に見ることができたんですね。「あんなに苦しく、一生懸命にやっている自分っておかしい」と…。

イ:それは、カナダで生活していた時と同じ感覚なんですか?

大:そうそう。中にいる時ってわからないんですよ。みんながやっているから。それが当たり前だし、人生を全部そこに注ぎ込んでいるので…。でも、ふと行ったアメリカの時間の流れの中で、日本にいる自分の姿を振り返ったら、「人間の生活じゃないな。なんでそこに固執しているんだろう」って思ったんですね。それで「あぁ、もう辞めよう!」って決心がつきました。

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イ:でも、その時点では、次に何やるかを決めていなかったんですよね?

大:そこを辞めたら、自分の作品を作るというのはありました。「人の作品を手伝っている」というフラストレーションもあったと思います。

イ:だから、充実感がなかったんですね。

大:たぶんそうだと思います。その後に気づくんですけど、自分が描いたり造ったりした作品を見てもらって、その人の感動を直接感じられる距離でコミュニケーションをはかりたかったんですよ。もちろん人それぞれで、映画のような大きな作品に携わって「見えない人のために」っていう人もいますけど、私の求めていたものは違ったんですね。

イ:その気づきっていうのは、今までのことを経験しなきゃ、なかなかわからなかったものなんでしょうね。

大:そうだと思います。

イ:自分にとっての表と裏。「裏を見て初めて表の意味がわかる」ということなんでしょうか?

大:そうだと思いますね。その分、今は日々すごく喜びがありますが、それは、修行の時代に究極の厳しさ中で仕事したっていう経験があったからから、より感じられることでもあるんですね。

イ:それは、相当な喜びでしょうね。

大:だから、あの時代があってすごくよかった。生ぬるいところじゃなくて、究極のところで仕事をしてよかったなって思いますよ。しかも、ギュッと時間を短縮していろいろ学べましたから。

イ:現代美術において、世界的に注目されている日本人の下で働いていたわけですからね。それで、その後鳥取なんですか?

大:鳥取ですね。

(取材/2013年9月18日)

大下志穂さんのサイト
  http://jonetsuapple.weebly.com/index.html

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