昔、「器が大きくなりたい」と思ったことがありました。プライベートで溜めたネガティブな感情をさらけ出したくないという、非常に格好の悪い話なのですけれども。
ネガティブな感情の貯蓄量が増える度にその器を少しずつ補強・増量するということをチマチマやっていたのですけれども、しばらくして 「あ、これ絶対追っつかんわ」 と気付きました。それで色々考えたのですけれども、器が大きい人というのは本当は「器が大きい」のではなくて
「(他人から見ると)器が大きいように見える人」
というだけであって器そのものの大きさとは違うのではないかと思うようになりました。
つまり「器の大きい人」というのは「器に入れない/器を使わない人」なのではないかと。
自分より優れた人に会ったとき。
嫉妬したり劣等感を感じたりすると器を使ってしまいます。
自分が劣っていることを素直に認めてしまえば器を使わなくて済みます。
他人からバカにされたとき。
怒ってしまえば器を使ってしまいます。
「油断してくれて助かるなぁ」と思うことができれば器を使わなくて済みます。
他人に八つ当たりされたとき。
相手の理不尽さに怒ってケンカをすれば器を使ってしまいます。
「辛いことがあったんだね」と共感を示せば器を使わなくて済みます。
器の大きさっていうのは、そういう器を使わないためのワザをどれだけ使えるかというところに掛かっているような……最近そんなことを感じています。
ちなみにボクですが、某スーパーのテーマソングの
太陽みたいだね♪ その方がアナタらしい♪ ▼▲ー (店名は伏字)
という歌詞を聴くと、
てめぇに俺らしさの何が分かる、××が!
というイライラを隠せなくなるような残念な器の大きさです。
なお 万一ボクが太陽みたいに輝いた表情をしてたら社員全員から、
「「「 キモッ! 」」」